女を殴る小説ばかり投稿するのも決まりが悪いので

 最近読んだマンガとか本とか映画のこと書きます

 

・あfろ『ゆるキャン△(1)』(芳文社

ゆるキャン△ (1) (まんがタイムKRコミックス フォワードシリーズ)
 

 最近買った漫画の中では一番面白かった。簡単にいえばキャンプ版『ヤマノススメ』なのですが、夜に野外で食べるカップラーメンの味などは自分自身にも思い出深い記憶もあるのでそれも相まって良かった。

 

 ・月子『最果てにサーカス(1)』(小学館

最果てにサーカス 1 (ビッグコミックス)

最果てにサーカス 1 (ビッグコミックス)

 

  中原中也小林秀雄、そして二人と関係をもった長谷川泰子という女性の三人を描いた漫画なのだけど、長谷川泰子という女性がまあすごい。

その頃彼(引用者注:小林秀雄)は大学生だつたが、或る女性と同棲してゐた。彼女は、丁度子供が電話ごつこをして遊ぶやうに、自分の意識の紐の片端を小林に持たせて、それをうつかり彼が手離すと錯乱するといふ面倒な心理的な病気を持つてゐた。意識といつても、日常実に瑣細な、例へば今自分の着物の裾が畳の何番目の目の上にあるかとか、小林が繰る雨戸の音が彼女が頭の中で勝手に数へるどの数に当るかといふやうなことであつた。その数を、彼女の突然の質問に応じて、彼は咄嗟に答へなければならない。それは傍で聞いてゐて、殆んど神業であつた。否、神といって冒涜なら、それは鬼気を帯びた会話であつた。(河上徹太郎『私の詩と真実』)

 泰子は上記引用文にもある「質問病」(しかも自分の思い通りの返事がないと錯乱する)に加えて、小林を線路に突き飛ばそうとしたりと……まあそんな日々が続いて神経が参った小林は泰子のもとを逃げ出すのだけど……『最果てにサーカス』ではどこまで描かれるのだろう。

 

有栖川有栖『双頭の悪魔』

双頭の悪魔 (創元推理文庫)

双頭の悪魔 (創元推理文庫)

 

  高校生の時に『月光ゲーム』『孤島パズル』を読んで以来このシリーズからだいぶ離れてたのだけど、ひょんなことから読むことになった。ミステリの感想は難しいので小説の本筋から離れた話をすると、探偵・江神二郎って京都の西陣に下宿してるんだなあ……。京大に通ってる設定なのに結構遠くね?って思ったけど、割とこの辺は行動範囲なので親近感が湧いた。西陣周辺は住んでて飽きないと思うし、江神さんが留年してるのもクッソわかる。

 

 ・西村賢太『痴者の食卓』『寒灯・腐泥の果実』(新潮社)

痴者の食卓

痴者の食卓

 

 

寒灯・腐泥の果実 (新潮文庫)

寒灯・腐泥の果実 (新潮文庫)

 

  女に怒りを覚えたら西村賢太を読むといい。「貫太と秋恵シリーズ」は最早お約束のように「貧乏なりに幸せに暮らしてたけどひょんなことで大喧嘩で貫太が秋恵を罵り倒す」という内容が繰り返されるので、安心感がある。

 女に怒りを覚えたら西村賢太を読むといいと言ったけれど、根本的に女性嫌悪の話ではないとは思う。むしろこれを読んでスカッとする僕のほうに問題があるのだろう。

 

・新庄耕『狭小邸宅』(集英社

狭小邸宅 (集英社文庫)

狭小邸宅 (集英社文庫)

 

  この作品に関してはTwitterbotがあるので、それを見てピンときたら読もう。

 一部抜粋すると。

「松尾 、未公開物件あるから 、サンチャの駅前でサンドイッチマンやれ 」

「おい、お前、今人生考えてたろ。何でこんなことしてんだろって思ってたろ、なぁ。なに人生考えてんだよ。てめぇ、人生考えてる暇あったら客みつけてこいよ」

「売るだけだ、売るだけでお前らは認められるんだ、こんなわけのわからねえ世の中でこんなにわかりやすいやり方で認められるなんて幸せじゃねえかよ。最高に幸せじゃねえかよ」

 こんな感じの小説です。

 

山口昌男『「敗者」の精神史』(岩波書店

「敗者」の精神史〈上〉 (岩波現代文庫)

「敗者」の精神史〈上〉 (岩波現代文庫)

 

 「本書で説いて来たのは、日本近代の公的な世界の建設のかたわらに、公的世界のヒエラルヒーを避けて、自発的な繋がりで、別の日本、もう一つの日本、見えない日本をつくりあげて来た人がいたということである。その人たちは公的日本の側からは見えない人たちであったために勲功の対象になることはほとんどなかった」

 僕たちが何気なく共有している明治維新に対するイメージは司馬遼太郎の小説に出てくるようなどちらかというと肯定的な世界じゃないかな。そうした明治観から少し離れて、日本の近代化を横から斜めから裏から見てみようという名著。歴史は政治家や軍人だけが作るものじゃない。

 

・映画『屍者の帝国


「屍者の帝国」劇場本予告 - YouTube

 原作からはかなり改変されているし、ラストなんて本当に何が起きているのか理解できなかった。だけど観終わってしばらく経ってから考えると、伊藤計劃が亡くなった段階で本来彼の手によって書かれるはずだった『屍者の帝国』というテキストは永遠に失われているし、受け継いだ円城塔も「荒唐無稽な軽い読み物」って評している以上、映画に対して激しく怒るのも空しい気がする。

 勝手なことを言うと、伊藤計劃のプロットをもとに色々な作家が誰彼版『屍者の帝国』として作品化し、作家の数だけ『屍者の帝国』の物語が生まれてくると解釈も面白くなってくると思う。『伊藤計劃トリビュート』とか『屍者たちの帝国』みたいな試みよりもずっと面白いと思うのだけど、どうだろう。

 『ハーモニー』は週末に観に行きます。