女を殴る就活生の小説を書きました――「それではあなたの自己PRをお願いします」

「それではあなたの自己PRをお願いします」

作:今野ぽた(@conpotachan_km)

 

「それではあなたの自己PRをお願いします」

 僕の正面に座った男がにこやかに告げる。ストライプの半袖シャツから伸びる腕は程良く日に焼けて、筋肉もついている。僕をまっすぐ見据える瞳には曇り一つなく、人柄の良さを伺わせたが、僕にはそれがどこか後ろめたく、そして気味悪く映った。だけどそれを勘付かれてはいけないのだ。

「はい、私の強みは『優しさ』だと考えています。私は所属していたサークルの副会長を務めました。会長が事務的な仕事で追われることが多いので、私の役割はサークル内の人間関係を円滑に進めることだと考え、行動してまいりました。悩み事がある後輩がいれば相談に乗り、積極的に飲みに誘うなどしました。会長の仕事量が増えた際は、その仕事を手伝うこともしました。その結果、サークル内では『柳井さんは優しい』と評価され、活動も円滑に行うことができるようになりました」

 何度も、何度も何度も何度も何度も繰り返した台詞がスラスラと口から流れ出てくる。笑顔で、元気よく、はきはきと。目の前の相手に少しでも悪印象を与えないように慎重に、そして自信を見せつけるように大胆に。

 言葉を小気味よく畳みかければ畳みかけるほど、僕の頭の中にはすぅっと冷たい風が吹き抜ける。すると、黒のスーツを身にまとって口を動かし続ける自分自身の姿が、まるで他人のように感じられるのだった。サークルの副会長を務め、人間関係を円滑に進めた、優しい、『柳井さん』なんて、まるで存在しないかのように。いや、存在しないのだ。僕の口から溢れ出てくる『柳井さん』なる人間は、作りものに過ぎない。全部嘘なのだ。よく、一を百にすることは問題ないと耳にするが、僕のそれは一すら存在しないのだからタチが悪い。唯一合っているのは『柳井』という名字だけ。

 目の前の男は僕の話を真剣そうに聞いている。この世のどこにも存在しない人間の話を、真剣そうに聞いている。途端、僕はこの男が哀れだと思った。そして、哀れむ自分自身が惨めになって、喉のあたりがきゅっと締め付けるような感覚に囚われた。僕の話を聞き終わった男が、僕に二、三の質問を投げかける。僕は喉の不快感を隠しながら、受け答えを続けた。

「面接は以上です。結果はメールにてお知らせいたします。それでは本日はありがとうございました」

 

     ●

 

 アパートの前まで帰ってきたときには、日はだいぶ傾いていた。それでもなお、八月の暑さは就職活動をする学生にはあまりにも酷だった。ジャケットを脱ぎ、ネクタイを外してもなお、暑さは容赦なく僕の体力を奪う。首筋を流れる汗が、ワイシャツの襟に染みる。脇と背中はぐっしょりと濡れている。僕は最後の気力を振り絞るように、アパートの階段を上る。二階に到着すると、鍵を取りだし、慣れた手つきで解錠した。玄関のドアを開けると、エアコンの冷気が僕を包みこんだ。汗だくになった身体には、少し寒すぎるくらいの温度だった。

 廊下の向こうの扉が開き、すたすたと一人の女性が駆け寄ってくる。玄関のところで足を止めると、僕に優しい笑顔で「おかえり」と言った。僕は何だか後ろめたい気持ちに包まれながら、差し出された彼女の手にバッグの持ち手を握らせた。

「今日も暑かったでしょ」

「うん」

「お疲れのようだね」

 彼女の、少しおどけたような口調に僕は、理不尽な怒りを覚えた。恨めしそうに彼女を睨み、何も言葉を返さず革靴を脱いで部屋に上がった。スーツをハンガーに掛け、クローゼットから着替えを取りだし、浴室へと向かう。彼女は何も言わず、僕の後ろをついてくる。脱衣所でワイシャツのボタンに手をかけたところで、僕は堪え切れなくなって彼女に「シャワー、浴びるんだけど」と言うと。彼女は「そう……」と言って脱衣所から出ていった。手にはまだ僕の鞄が握られていた。僕はワイシャツを乱雑に脱ぎ捨てると、浴室の扉を開いた。洗面器が扉にあたって、派手な音を立てた。

 シャワーからあがると、彼女は退屈そうに頬杖をついてテレビを見つめていた。僕は彼女の隣に腰掛けた。なるほど、確かに退屈そうな番組だった。

「面接、どうだった?」

 彼女は僕の顔を見つめながら訊ねた。

「問題なく受け答えしたけど、どう思われてるかなんて分からない」

「まあ、結果って学生には分からないもんね。何聞かれたの?」

「自己PRとそれを掘り下げる感じ」

「へえ、何て自己PRしたの?」

 僕は昼間の面接の光景を嫌でも思い出した。座り心地の悪いパイプ椅子、面接官の日焼けした腕、すぅっと冷たくなる頭の中。サークルの副会長を務め、人間関係を円滑に進めた、優しい、『柳井さん』。ああ、そんな奴なんていないさ。そもそも、彼女は何を期待して、僕にそんな事を尋ねたのだろう。二年も付き合っていれば、そんな事訊く必要もないのではないか。途端、僕は彼女の質問の意図に悪意を覚えた。

「そんなこと言う必要ないだろ」

 語気を強くして遮った僕に、彼女は露骨にむっとしてみせた。その仕草が、何とも腹立たしく見えた。

「必要あるとか、ないとか、そういう話じゃなくない?」

「うるさい!」

 僕は反射的に彼女を怒鳴りつけた。彼女の顔に動揺が走る。しかし次の瞬間にはすぅっと彼女の顔から表情が消えていった。目から光が消え、口角は下がり、頬は蒼ざめていった。僕はまるでスローモーションでも見るようにその様子を眺めていた。言葉とは裏腹に、僕は冷ややかに彼女を見つめていた。自分自身の中で、自分が一致しない感覚。ああ、これは面接の時と同じ感覚だ。「それではあなたの自己PRをお願いします」。存在しない『柳井さん』を語っている時のような、まるで一段上から自分を見下ろしているような感覚。

 僕の怒りは止まらなかった。彼女の体が吹き飛ぶ。頬を手で押さえている。手のひらに走る疼痛が彼女を殴ったことを物語っていた。僕は彼女の髪を掴むと壁に思いきり叩きつけた。何度も、何度も叩きつける。「それではあなたの自己PRをお願いします」。面接官の言葉が頭の中では響きつづけていた。

「ごめんなさい、ごめんなさい……悪気はなかったの……許して……痛い……」

 彼女は傍にいるはずなのに、僕が今、まさに髪の毛をわしづかみにしているところなのに、それなのに彼女の声はどこか遠くに聞こえた。いつもそうだ。僕は怒りに火がつくとどうしても止めることができない。まるで自分が自分でなくなってしまったかのように彼女に暴力をふるってしまう。いや、これこそ僕の本当の姿なのだ。サークルの副会長を務め、人間関係を円滑に進めた、優しい、『柳井さん』という人格はどこにも存在しない。

「俺がどんな自己PRをしたかなんて関係ないだろ! そんなことも分からないのか。そうか、お前は俺を馬鹿にしているんだな。俺がどんな人間か知っているから、面接でどんな人間を演じているのか知りたくて仕方がないんだろう? なんて薄汚い女だ。労うふりをして近づいて、本心では人のことを苔にして。そんなに楽しいか? 何か言ったらどうなんだ!」

 この世界に存在しているのは、彼女のTシャツの胸倉をつかみ、至近距離で罵声を放つ男だ。

「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」

 僕は彼女のTシャツをさらに強く絞めあげた。生地が彼女の首にぐっと絞まるのが伝わる。彼女は息苦しそうに、なおも謝罪の言葉を吐き続けている。その態度が、僕の神経をさらに逆なでした。渾身の力で投げ飛ばすと、彼女は机の角に思いきり腰をぶつけ、そのまま顔を覆って泣きはじめた。Tシャツは裂け、乳房が顔を覗かせていた。

 

     ● 

 

 目を覚ますと僕はベッドの上にいた。服は身に着けておらず、シーツに汗染みが広がっていた。隣には裸の彼女が横たわっていた。時計を確認すると十一時を回っていた。今日の面接は十四時からなのでまだ余裕がある。

 スマートフォンを確認すると求人情報のメールの中に、昨日の面接の結果が送られてきていた。「二次選考のお知らせ」というタイトルと共に、選考通過の旨が記されていた。僕は自嘲的な笑みを浮かべた。

「……おはよう」

 彼女が目を覚ます。泣きはらした目と、首筋に残る痕が昨晩の出来事を物語っていた。僕は彼女と目を合わせることができず、小さな声で「おはよう」と言って髪を撫でた。ベッドから立ち上がりカーテンを開ける。今日は生憎の雨だった。どんよりとした光が伸び、部屋の奥のクローゼットを照らす。クリーニング済みの白いワイシャツがクローゼットの扉には掛けてあった。

クリーニング屋のタグのついたままのそれは、酷くよれて、くたびれていて――。

雨粒の影がまるで、墨汁のように白いワイシャツを汚しているように見えた。

 

 

(了)